岡山の歴史を訪ねて…
岡山の名城
Fine castle of okayama
岡山のお城を観光した後は、岡山市内の温泉につかってリラックス!
岡山を満喫する旅に出かけませんか?
岡山県には、「日本100名城」のうち4城があります。
日本三大山城の一つ「備中松山城」、昔話「桃太郎」のルーツと言われる「鬼ノ城」、宇喜多秀家が築城した「岡山城」、一度は訪ねたい桜の名所「津山城」。
お城では、四季折々のロケーションを楽しむ事が出来ます。
備中松山城
雲海に浮かび上がる幻想的な姿はまさに「天空の城」。
鎌倉時代に有漢郷(現高梁市有漢町)の北にある、標高約430mの臥牛山に築かれました。
地頭秋庭重信が大松山に城を築いたのを起源とし、1683(天和三)年に水谷勝宗によって3年がかりで修築され、今の天守の姿になりました。
江戸時代に建造された天守や二重櫓と三の平櫓東土塀の1基の土塀が国の重要文化財に指定されています。
現存天守を持つ山城としては最も高い所にあり、朝日を浴びて雲海に浮かび上がる幻想的な姿から、別名「天空の城」と称されています。
国重要文化財 日本100名城 現存天守

▲眺望
山頂までは、8合目のふいご峠から徒歩約20分程度の道のりです。
遊歩道を行く道中、高梁市内の絶景が広がります。山からの雄大な眺めを満喫してみてください。

▲石垣
備中松山城の最大の見所、岩山に積まれた石垣。
花崗岩という緻密で固い岩で、元々あった花崗岩をそのまま石垣として利用しています。

▲三の平櫓東土塀
城郭に至る道の土塀は、大手門を入り左に曲がると正面に見えます。土の塊を積み重ねて芯にし、その外側に漆喰を塗って仕上げたもので、現存する土塀として重要文化財に指定されています。

▲天守閣
備中松山城の天守は現存天守12天守のうち、唯一の山城に残っている天守です。内部は質実剛健な造りで「三重櫓」と呼ばれており、外観は三重ですが、実際には二階建です。

▲天守内の囲炉裏
篭城時の城主の食事、暖房用に用いられたと言われています。これは戦国時代備中の首都としてこの城の激しい争奪戦が幾度も繰り返された経験から生まれたものです。 

▲二重櫓
天守の後方に建ち、天守同様に天然の巨石を櫓台とした二層二階建ての構造になっています。
南北二つの出入り口は、北は後曲輪に、南は天守裏に通じています。
詳細情報
【築城年】1683年
【所在地】高梁市内山下1
【アクセス】
JR備中高梁駅からふいご峠までタクシーで約10分。
下車徒歩で約20分。
【駐車場】
ふいご峠駐車場14台
城見橋公園駐車場110台
【高梁市公式サイト】
http://www.city.takahashi.okayama.jp/
soshiki/9/shiro4240131.html

鬼ノ城
「桃太郎伝説」のルーツを探る。
鬼ノ城はここ最近の発掘調査によって、古代に築かれた巨大な山城であることがわかってきました。
標高397mの鬼ノ城山は、山頂付近を取り囲むように巨大な城壁が延々2.8kmにわたって鉢巻状に巡っており、古代の朝鮮式山城と言われ、その規模は国内最大級です。
伝説の、吉備津彦命の温羅退治に登場する鬼はここを根城にしていたと言われています。
鬼ノ城は古代の正規の歴史書には登場することはなく、その真相は未だに解明されていない謎の山城であるが、後世の文献である鬼ノ城縁起などにでてきます。
それによると「異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。彼はやがて備中国の新山に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、 婦女子を掠奪したので人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた・・・。」これが一般的に温羅伝承と呼ばれる説話で、地名もこれに由来しています。
日本100名城

▲角楼
周囲の城壁線から飛び出して構築されてあるものを角楼といいます。外敵を阻止するために築かれた城壁ですが、城壁だけでは死角が出来るため、突出した外部監視場所の必要性から作られたものと考えられます。張り出し部の外側には、通路のような幅1.5mの敷石が巡っており、また、城内側には角楼への昇降のための石段もつけられています。

▲西門(城内側)
平成8年度の調査で新たに発見された城門の「西門」。標高の高い鬼ノ城の山の際に作られている門です。一階は門扉のある石敷きの通路、二階は城壁の連絡路、三階は見張り及び戦闘の場に想定されています。
南門と同規模の大型の城門で間口3間(12.3m)、中央1間を通路とし、2間の奥行をもち、12本の柱で上屋を支えます。
門扉のつく柱は、一辺最大60cmもあり、これに精巧な加工をした門礎を添わせています。

▲西門(城外側)
詳細情報
【築城年】663年
【所在地】岡山県総社市奥坂、黒尾
【アクセス】※鬼城山ビジターセンター
JR総社駅で下車、車で20分
岡山自動車道岡山総社ICから約8km
【駐車場】※鬼城山ビジターセンター
約70台
【総社市観光ナビ(鬼ノ城)】
http://www.city.soja.okayama.jp/shoukou_kanko/kanko/
kannkou_bunnka/kankouti/kinojyo/kinojo.html

岡山城
宇喜多秀家が築城し、黒漆塗りの外観から別名「烏城(うじょう)」の名を持つ。
1597年に、宇喜多秀家が旭川の三角州である大洲原の丘陵に築城しました。
3層6階の堂々とした天守閣の黒い下見板張りの外観から別名「烏城」とも呼ばれています。
天守閣は不等辺五角形をしており全国的にも珍しく、関ヶ原以前の古式を伝える貴重な歴史文化遺産です。天守閣内では、実際にお殿様やお姫様の衣装の着付け体験もできます。
1966年の再建で、内部には書院造りの城主の間も復元しました。
現存する「月見櫓」や「西の丸西手櫓」は、国の重要文化財です。
国重要文化財 日本100名城

▲天守
現在の岡山城は外観復元天守です。宇喜多秀家が岡山城の象徴に建築した3層6階建ての望楼形天守で、書院造りの居間(城主の間)が設けてあり、初期の天守の性格を物語っています。
岡山城は廃城令でも天守が残されたのですが、昭和20年の空襲で焼失しました。それを昭和41年に再建し、城主の間も復元されています。
現在、内部は展示室になっています。6階建で、最上階からは岡山の町を一望できます。5階からは後楽園と旭川をバックに金鯱を間近に見る事が出来ます。2階から4階は城の歴史を展示してあり、城主・宇喜多直家の生涯や城の建築の特徴など興味深い内容となっています。

▲不明門(あかずのもん)
明治時代の廃城令によって取り壊されましたが、1966年(昭和41年)に天守とともに再建されました。
中の段から本段に上る正門で、本段には藩主が日常生活を営む御殿があり、入ることができるのは、特に限られた身分の人でした。このため、この門は閉ざされている事が多く「不明門」と呼ばれていました。

▲廊下門
岡山城本丸中段(表向)へ入るための門で、搦手門にあたります。後楽園側から岡山城に入るには廊下門を通ることになります。
櫓門型式の門で、上屋は本段御殿に住む藩主が中の段の表書院に降りる通路として利用されたため「廊下門」と呼ばれました。
月見櫓と同じく1620年代に池田忠雄が建てたものですが、明治になって取り壊されました。現在の建築は昭和41年に鉄筋コンクリートで再建されたものです。

▲月見櫓
岡山城第5代城主、池田忠雄が岡山城の増改築に際して、本丸搦め手に備えて建てた江戸時代初期の隅櫓です。文字通り「月見」を楽しむために用いられたようだが、本来の目的は、防衛するためのもので、櫓自体も武器の貯蔵庫になっており、隠し銃眼や中世的な石落としの装置などが設けられています。
城の外側から見ると2層の望楼型の外観ですが、内側から見ると3層の層塔型に見えます。
内側の2階を見ると、東面と西面は雨戸がついており、日常の生活仕様となっています。
詳細情報
【築城年】1597年
【所在地】
岡山県岡山市北区丸の内2-3-1
【アクセス】
JR岡山駅/市内電車東山行き5分/「城下」下車徒歩10分
山陽自動車道岡山IC/車20分
【駐車場】
烏城公園駐車場を利用してください。
料金:1時間300円(30分追加100円)
※ 割引:岡山城天守閣の入場者は、
  駐車料金が150円割引になります。
【岡山城公式サイト】
https://okayama-castle.jp

津山城
「日本さくら名所百選」にも選ばれた西日本有数の桜の名所。
津山藩・森忠政が1616年に鶴山に築いた平山城です。
5層の天守や櫓、城門などが完成し、明治の廃藩置県・廃城令によって全て取り壊されましたが、天守の南東側の備中櫓が、平成17年に築城400年の記念事業として復元されました。
石垣は、何層にも重なり合うような雄大さで、背景に咲き誇る桜は美しく、西日本有数の桜の名所として知られ「日本さくら名所100選」に選ばれています。
日本100名城

▲備中櫓
「備中櫓」という名前は、因幡鳥取藩の第2代藩主、のちに備中松山藩の初代藩主となった池田「備中守」長幸にちなんで名付けられました。
平成17年に津山城築城400年記念行事として復元された櫓で、白壁、格子窓が印象的です。本丸から張り出した石垣上に配置されており、建造物としては櫓(矢倉)でありながら、御殿として機能していました。

▲備中櫓内部
備中櫓は一般的な倉庫や見張り台といった櫓の用途ではなく、内部を御殿の一部として利用されていたようです。
そのため畳敷きとなっています。
釘隠しやふすまの引手には森家の「鶴の丸」の家紋があります。

▲天守台
本丸の西側に配置された天守台には、5層の層塔型天守がそびえ立っていましたが、明治の廃藩置県・廃城令によって全て取り壊されました。
当時、天守台の周りには天守曲輪が設けられ、限られたスペースにも関わらず数箇所の門が築かれていました。

▲森忠政像
森可成の子で、長可、蘭丸の弟にあたる。
津山城を築城し、城下町の発展にも力を注ぎました。

▲表中門
ここが城内最大の門 「表中門」。江戸城、大阪城に匹敵する大きさで、登城する石段としては全国でもまれな石段の幅といわれています。

▲切手門跡
本丸への侵入を防ぐ門です。
3種類の石段で出来ており、石段の高さや位値など、敵を一網打尽にする為の工夫がなされています。
詳細情報
【築城年】1616年
【所在地】津山市山下135
【アクセス】
中国自動車道津山IC、または院庄ICから車で約15分
JR津山駅より徒歩約10分
【駐車場】
津山観光センター駐車場/普通車30台・バス6台
【津山市公式観光サイト】
http://www.tsuyamakan.jp/tour/detail/?pk=58